吉田健志、ミュージシャン時代からニチブツ入社まで [全般]
メールより抜粋。
さらりとすごいお話が。
昔、東京でプロとしてバンドを組まれていた頃のお話を聞かせてください。 麻布十番に住んでいらしたとか。
東京で、ヤングジャパンという事務所に所属していました。
「貝がら」というグループでです。
その頃の所属グループに、アリス、バンバン等が有りました。
アリスは、谷村新司、堀内孝雄が作ったグループです。
時々、コンサートでベースを頼まれて弾いたりしました。
それから「バンバン」に引き抜かれて、
半年ほどグループでベースを弾いていました。
メンバーはばんばひろふみ、高山厳、今井ちゃん、私。
後に、バンバンと今井ちゃん2人組みで、
「『いちご白書』をもう一度」で、売れましたね。
その時に、コンサートでアンプ借りたのが、
チューリップや、キャロルの矢沢さん等がおります。
事務所は、麻布に有り、そこに寝泊まりしていました。
よく、麻布十番に食事に行って、パチンコして、
隣を見たら、元タイガースのトッポが打ってたり・・(笑)。
半年ほどしてから、バンバンを辞めました。
それから、「ジュピター」ってバンドを結成して、
デモ・テープまで作ったんですが、解散しました。
それから、大阪の、楽譜工房というスタジオで、
コマーシャル等の音楽を制作してました。
「餃子の王将」ってCMそちらで流れてないですか?
私の曲ですが、大阪では、いまだに流れています。(注:2000年当時)
それから、キャバレー・バンドも転々としましたね。
もっとも、酒も女も薬もまるで、やらなかったですね。
それが、かえってめずらしがられましたが・・。
(ヘンなヤツだったかも?(笑))
あ、「大森一樹」監督御存じですか?
彼とも、やった事有りますねぇ。
友人の紹介で、
有名になる前のデビュー作「暗くなるまで待てない!」のサントラを
担当しましたよ。(雑誌ぴあからレコード出ました <既に廃盤)。
彼は単身、それを持って、東京に行って、
各処で自主上映をやったり、いろんな所に売り込みに駆けずり回って、
徐々に有名になっていったみたいです。<(今では、有名ですねぇ・・)
ジュピターで演奏していたのは、どんな音だったんですか?
今から思うと、アルフィー風でしたね。
チョット、プログレ風も入っていましたが・・。
そこから、どういう流れでニチブツに入社することになったのですか?
“楽譜工房”で、しばらくCM等を作り続けていましたが(フリーの作曲家扱いでした)、
フリーは収入が不安定で、安定収入のサラリーマンに憧れまして、
就職情報誌を見てたら、日本物産が“近所”だし、面白そうだったので、
即、面接申し込みました。
そもそも、ゲーセン等まるで行った事はなく、
面接の前日にあわてて、見に行きました(笑)。
その時、「マグマックス」が有りまして、
やれそうだと思いまして、面接に行った次第で・・(笑)。
大阪にも他にゲーム会社はたくさんあるなかで、なぜニチブツを?
その頃、ゲーム業界の事など“まるで”、知らなかったからです(笑)。
<爆弾暴露しないように願います(笑)。
さらりとすごいお話が。
昔、東京でプロとしてバンドを組まれていた頃のお話を聞かせてください。 麻布十番に住んでいらしたとか。
東京で、ヤングジャパンという事務所に所属していました。
「貝がら」というグループでです。
その頃の所属グループに、アリス、バンバン等が有りました。
アリスは、谷村新司、堀内孝雄が作ったグループです。
時々、コンサートでベースを頼まれて弾いたりしました。
それから「バンバン」に引き抜かれて、
半年ほどグループでベースを弾いていました。
メンバーはばんばひろふみ、高山厳、今井ちゃん、私。
後に、バンバンと今井ちゃん2人組みで、
「『いちご白書』をもう一度」で、売れましたね。
その時に、コンサートでアンプ借りたのが、
チューリップや、キャロルの矢沢さん等がおります。
事務所は、麻布に有り、そこに寝泊まりしていました。
よく、麻布十番に食事に行って、パチンコして、
隣を見たら、元タイガースのトッポが打ってたり・・(笑)。
半年ほどしてから、バンバンを辞めました。
それから、「ジュピター」ってバンドを結成して、
デモ・テープまで作ったんですが、解散しました。
それから、大阪の、楽譜工房というスタジオで、
コマーシャル等の音楽を制作してました。
「餃子の王将」ってCMそちらで流れてないですか?
私の曲ですが、大阪では、いまだに流れています。(注:2000年当時)
それから、キャバレー・バンドも転々としましたね。
もっとも、酒も女も薬もまるで、やらなかったですね。
それが、かえってめずらしがられましたが・・。
(ヘンなヤツだったかも?(笑))
あ、「大森一樹」監督御存じですか?
彼とも、やった事有りますねぇ。
友人の紹介で、
有名になる前のデビュー作「暗くなるまで待てない!」のサントラを
担当しましたよ。(雑誌ぴあからレコード出ました <既に廃盤)。
彼は単身、それを持って、東京に行って、
各処で自主上映をやったり、いろんな所に売り込みに駆けずり回って、
徐々に有名になっていったみたいです。<(今では、有名ですねぇ・・)
ジュピターで演奏していたのは、どんな音だったんですか?
今から思うと、アルフィー風でしたね。
チョット、プログレ風も入っていましたが・・。
そこから、どういう流れでニチブツに入社することになったのですか?
“楽譜工房”で、しばらくCM等を作り続けていましたが(フリーの作曲家扱いでした)、
フリーは収入が不安定で、安定収入のサラリーマンに憧れまして、
就職情報誌を見てたら、日本物産が“近所”だし、面白そうだったので、
即、面接申し込みました。
そもそも、ゲーセン等まるで行った事はなく、
面接の前日にあわてて、見に行きました(笑)。
その時、「マグマックス」が有りまして、
やれそうだと思いまして、面接に行った次第で・・(笑)。
大阪にも他にゲーム会社はたくさんあるなかで、なぜニチブツを?
その頃、ゲーム業界の事など“まるで”、知らなかったからです(笑)。
<爆弾暴露しないように願います(笑)。
“吉田健志”はペンネームだった事件 [全般]
「吉田健志」がペンネーム、というか芸名だということは
いまでこそWikipediaにも載っているけど、意外に知られていない話。
実は吉田さんと友人関係にあった僕も、それを知ったのは
知りあって何年も経ってからのことでした。
ある日突然吉田さんから届いた、
「結婚することになりました」というおめでたい知らせ(招待状だったかも)。
しかしそこに書いてあったのは、吉田姓の知らない男性のお名前と、新婦さんのお名前。
ん?誰?吉田健志さんが結婚するんじゃないの?ご兄弟か?
「吉田さん、いったいどなたがご結婚されるんじゃらほい」
「あ、あれ私です。健志はペンネームなんです」
「えーーー!」
いやあ、あの時はたまげた。
手紙だって、何年も吉田健志名義でやりとりしてたんだから。
そんな大切な説明すっとばして、本名で結婚報告してきちゃうのが吉田さんなんだなあ。
いったい何がどうして、 「吉田健志」ってペンネームを使うようになったのですか。
高校2年の時でした。
東京の友人の友人が、「ケンジ、ケンジ」と呼ばれていたのです。
もっとも、1回しか会ったことないです。
家に友人2人で遊びに来て、即興でピアノ弾いて、
即興で作曲して、「ウエー、カッコいいー」と思ったのです。
そいつが、凄くカッコよく映ったのですねぇ。
それで、ケンジって「響き」にあこがれたワケです。
その響きに、何か、鋭さと知性が感じられて・・・。
<言ってしまえば、たあいもない話で恐縮ですが。
もっとも、現在は、その人、何してるか分からないです。
私の本名は、なんか、もっちゃりしてませんか?(笑)。
-----
「もっちゃり」って。笑
まあ、言いたいことはわからないこともないけど。。。
ミュージシャン時代、ニチブツ時代を含めて
ほとんどの音源は「吉田健志」名義でリリースされているのだけど、
ファミコン版「クレイジークライマー」のエンディングで流れるスタッフロールは
めずらしく本名でのクレジットとなっています。唯一かも?
後に吉田さんにお会いした時にいただいた名刺には、
「開発部 第三開発室 自重 吉田○○」としっかり本名が書いてありました。当たり前ですが。
……あ、自重じゃなくて次長でした。
(2014.9.18追記)「テラフォース」や「アルテリオス」の吉田昇さんとは別人です。吉田健志さんの本名とイニシャルが同じなのは全くの偶然です。
いまでこそWikipediaにも載っているけど、意外に知られていない話。
実は吉田さんと友人関係にあった僕も、それを知ったのは
知りあって何年も経ってからのことでした。
ある日突然吉田さんから届いた、
「結婚することになりました」というおめでたい知らせ(招待状だったかも)。
しかしそこに書いてあったのは、吉田姓の知らない男性のお名前と、新婦さんのお名前。
ん?誰?吉田健志さんが結婚するんじゃないの?ご兄弟か?
「吉田さん、いったいどなたがご結婚されるんじゃらほい」
「あ、あれ私です。健志はペンネームなんです」
「えーーー!」
いやあ、あの時はたまげた。
手紙だって、何年も吉田健志名義でやりとりしてたんだから。
そんな大切な説明すっとばして、本名で結婚報告してきちゃうのが吉田さんなんだなあ。
いったい何がどうして、 「吉田健志」ってペンネームを使うようになったのですか。
高校2年の時でした。
東京の友人の友人が、「ケンジ、ケンジ」と呼ばれていたのです。
もっとも、1回しか会ったことないです。
家に友人2人で遊びに来て、即興でピアノ弾いて、
即興で作曲して、「ウエー、カッコいいー」と思ったのです。
そいつが、凄くカッコよく映ったのですねぇ。
それで、ケンジって「響き」にあこがれたワケです。
その響きに、何か、鋭さと知性が感じられて・・・。
<言ってしまえば、たあいもない話で恐縮ですが。
もっとも、現在は、その人、何してるか分からないです。
私の本名は、なんか、もっちゃりしてませんか?(笑)。
-----
「もっちゃり」って。笑
まあ、言いたいことはわからないこともないけど。。。
ミュージシャン時代、ニチブツ時代を含めて
ほとんどの音源は「吉田健志」名義でリリースされているのだけど、
ファミコン版「クレイジークライマー」のエンディングで流れるスタッフロールは
めずらしく本名でのクレジットとなっています。唯一かも?
後に吉田さんにお会いした時にいただいた名刺には、
「開発部 第三開発室 自重 吉田○○」としっかり本名が書いてありました。当たり前ですが。
……あ、自重じゃなくて次長でした。
(2014.9.18追記)「テラフォース」や「アルテリオス」の吉田昇さんとは別人です。吉田健志さんの本名とイニシャルが同じなのは全くの偶然です。